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自分のギター歴03~静岡と東京での活動

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スペインから帰国後、6年間ほど静岡で活動

スペイン留学でお金を使い果たしてしまったため、
帰国したはいいんですが、
東京に家を借りるにしてもお金も仕事の当てもなく、
しばらく静岡の実家に寄生することにしました。

まあ、いわゆるニート生活ですね。

時間はあるので、
まず静岡にあるフラメンコスタジオをまわり、
ギターの仕事を開拓しました。


そのうちに踊り手さんの一人と仲良くなり、
一緒にスタジオをやることになります。

そんなとき、重大な事件が起こります。
1999年の母親の急死をキッカケに
自分の家族はバラバラになってしまい、
実家も売却されてなくなってしまったのです。

母親と実家の喪失は精神的物理的にかなりの痛手でした。
もう困った時のニート生活という選択肢も無くなってしまいました。

 

それから静岡で三年間ほどいろいろな仕事をこなしつつ
ギター教室などやってましたが、
静岡では、これ以上は活動を広げるのは難しいと考えるようになり
(↑これ、今思うとそんなことないと思いますが)
いろいろ個人的事情も重なって、

自分はかねてからずっと考えていた東京移住を実行に移すことにしました。
2003年夏のことです。

当時は『東京に行けばフラメンコスタジオも仕事も山ほどあるし、
学生フラメンコ時代からの知り合いも多いし、なんとかなるでしょ』
と考えていましたが、これは全く甘い考えでした。

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2003年、東京へ出てきました

東京に移ってからは頑張って営業しましたが、

思ったほど仕事が増えず、とても苦労しました。
まあ、それはそうです。
今までが運が良かったんだと思います。

当時の静岡ではちゃんと伴奏ができるギタリストもほとんどいなかったし
20歳そこそこからの顔見知りばかりの限られた人間関係の中で
大事にされてたんだな、と今はよくわかります。

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Galeria Rosadaと妹のこと

ーーーそんな時2004年5月、妹の癌が発覚しました。

自分と弟は静岡に帰り、妹の側にいたんですが、
残念ながら3ヶ月も経たずに妹は旅立っていってしまいました。

当時、あまりに急な展開でわけがわからず、
未だに現実感が無いのですが、
1999年の母の死に続いて、
これは人生最大の痛手でした。

この少し前の3月頃に
自分はフラメンコポップのプロジェクトをスタートしていて、
そのための曲を用意している最中でした。
闘病している妹のために書いた歌詞もあって
当時のことを思い出します。

妹が闘病生活に入って少したったころ、
彼女を元気づけようと
その歌詞をのせて
急遽ギター一本で録音したデモ音源を聴かせたんですが、
彼女は途中で泣いてしまって最後まで聴けませんでした。。

その曲は2007年に完成する
自分のグループGaleria RosadaのCDに収録されることになります。

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危機的状況とデイトレードの開始

妹が亡くなってから、
しばらくは放心状態でなにもやる気がしませんでした。

せっかく増えてきたギターの仕事も減るし、
経済もまずい状態になってきました。

この時期、いろいろ悩んで就職の面接も何回か受けたんですが、
希望する仕事はことごとく不採用でほんとに自信がなくなってしまい、
貯金も尽きてきて、精神的にかなり追い込まれました。

ーーーこの時は、亡くなった妹に助けられました。

彼女はアルバイト代を全て貯金していたらしく、
それを自分と弟にも分ける、
という電話が父親からかかってきたのです。
数十万円でしたが、この時の自分には非常に貴重なお金になりました。

それがきっかけで一念発起してパソコンを購入、
以前からやりたかった株式投資を本格的に勉強しました。
そして手元にある全財産で株式のデイトレードをはじめました。

デイトレードは最初半年間~1年間は苦戦しましたが、
ギターや音楽制作の仕事のギャラは
全て証券口座へ入れて勉強を続けました。

手法を確立してからは軌道に乗り、
安定した利益を生み出すようになりました。
これが経済を支えてギター中心の生活を続ていく力になりました。

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2005年~2008年頃の活動

株式のデイトレードをはじめるのと同時に
フラメンコの伴奏活動や
自分の音楽活動も再びがんばりはじめました。

それまでMTRで制作していたのをPCベースに切り替え、

DTMも勉強して約1年半かけてGaleria RosadaのCDを作り上げました。

そのCDは2007年12月20日、自分の誕生日に発売になりました。

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その前後はライヴや伴奏の仕事が目白押しで
体が一つでは足りないくらい充実していましたが、

徐々に問題が発生します。

フラメンコベースの音楽に
畑違いのポップスのボーカルがのる
という音楽性はCDだといいんですが、
ライヴだとかなり難しく、
フラメンコ側の客層が多いなかで
ボーカリストにプレッシャーが集中してしまいがちでした。

ボーカリストと自分との関係もギクシャクして、
ある日もう続けるのが無理だ、と告げられました。

このプロジェクトをはじめたとき
日本語で伝えたいテーマがあったため、
敢えて歌をメインに据えたグループでしたが、
各自のモチベーションを維持していく難しさを痛感しました。

そのあと何人かシンガーを入れてやりましたが、
上手くいきませんでした。

Galeria Rosadaの活動は
2009年夏を最後に止まってしまっていますが、
また違った形で演奏出来る機会がくれば、と考えています。

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