これから「マイノリティのWeb戦略」という新連載を書いていこうと思います。
「マイノリティのWeb戦略」は「マイナージャンルの発信者がインターネットの発信活動でアクセス増加させる方法」をテーマとした連載ですが、第1回は、この連載の概要と自分の体験談を中心にお話します。
「マイノリティのWeb戦略」の概要
当ブログの「フラメンコ音楽論」や『月刊パセオフラメンコ』に寄稿している「フラメンコ未来構想」「続・フラメンコ未来構想」の中でインターネット発信の重要性について書いていますが、そのテーマをもっと掘り下げていきたいと思ったことが、この「マイノリティのWeb戦略」を始める動機となりました。
フラメンコ音楽論第47回「インターネットの影響」という記事で、フラメンコとインターネットの関わりについて書いていますので、この連載のプロローグとしてご一読いただければ、より理解が深まると思います。
インターネットで発信するコンテンツの内容的なことに関しては「フラメンコ音楽論」の中で「フラメンコの裾野を広げるコンテンツ戦略」として書いていますが、インターネットでのアクセス増加を目的とした技術的な事まで書くのは「音楽論」という趣旨から大きく離れてしまう、ということで、そのテーマに特化した新連載「マイノリティのWeb戦略」を立ち上げることにしました。
このテーマは、フラメンコに限らず発信活動をする人全般の関心事だと思いますが、ここでは「フラメンコなどのニッチジャンルのアーティストがインターネットを介して新規のファンを獲得していく」という目的に特化した形でやっていこうと考えています。
また、同じようなテーマで、ゲーム音楽演奏ブログで3年間に渡って運営の試行錯誤を記録した「月例まとめ」という連載がありますが、最終的には「月例まとめ」の内容は全て「マイノリティのWeb戦略」に反映させて、「月例まとめ」は完全に廃止でも良いかな?と。
それでは、ここから本題に入りますが、まずは「なぜ自分はインターネット活動を重視するようになったのか?」ということをお伝えするために、今までのインターネット体験を書いてみようと思います。
自分のネット体験
自分は1998年頃までPCも携帯電話も持たないアナログな生活をしていましたが、1998年にプロギタリスト活動を始めてからは仕事上での必要性が高まってきたため、1999年に携帯電話を契約しました。
そして、携帯電話機の機能向上とともに自然と電子メールやインターネットを利用するようになりました。
ちょうどiモードやEZwebが始まって普及していった時代で、当時は携帯で「2ちゃんねる」(現5ちゃんねる)などを見ていた記憶があります。
その後、2005年にフラメンコポップバンド「Galeria Rosada」のCDを作るためにPCを購入。ネット回線も契約して、やっとまともなネット環境を手に入れますが、インターネットでの発信活動に本腰を入れるのはかなり先の話(2018年から)になります。
PCを買って以降、それなりにインターネットを活用はしていましたが、当時はまだスマホ・SNS・動画サイトがそれほど普及しておらず(この頃はミクシィとかの時代ですね)、インターネット人口も今と比べるとかなり少なかったので、発信活動・営業活動という面では、それほど重視していなかったのです。
せいぜい(誰も見に来ない)ホームページを作ったりだとか、ミクシィや掲示板をライブ集客に利用したりとか、その程度でした。
営業活動への苦手意識
1998年にプロギタリスト活動を始めてから約10年間の活動の中で、一番痛感したのは「自分は営業が苦手」という事実でした。
2000年代までは音楽・芸能活動といえば、事務所に所属したり、CDやプロモキットを作って各所に配布したり、とにかく色んなところに足を運んで、色んな人に会って、といった感じで、100%個人の行動力にかかっているようなところがありましたよね。
もちろん自分も努力はしました。とくにこの時期はバンドマスターなどやっていたので、今までの自分の人生ではかなり頑張っていたと思います。
ですが、元々の性格が「家でギターを弾いてるのが幸せ」「電話は苦手」「めんどくさがり」という、営業活動に不向きなものだったので(笑)、大変苦労しました。
バンドの営業活動も要領を得ずに空回りすることが多く、いつもバンドメンバーに対して申し訳ない気持ちで一杯で、胃が痛くなる思いをしていたのを思い出します。
そんな感じで、思うように結果が出せずに悶々としていたのですが、そんな事をやっているうちに、2009年頃からは諸事情でギターの活動自体が満足に出来なくなり、フラメンコ業界からも徐々にフェードアウトしてしまいました。
2018年の活動再開時
その後、本格的にプロギタリスト活動を再開しようと思ったのは、さらに9年ほど経った2018年の事です。
その時は、10年間近いブランクでフラメンコや音楽の友人とはすっかり疎遠になってしまっていたし、「リアル人間関係を頼りに、また一歩ずつ広げて行く」というのは、年齢的にも(本来であれば、自分が若手の面倒をみるような年齢ですからね)難易度が高そうです。
そこで、なんとか独力で再浮上する方法を考えたのですが、その思考の内容は以下のようなものでした。
――かつて営業活動に苦労していた2000年代と、ギタリスト活動再開を決心した2018年の時点とで、決定的に変わっていたのはインターネット環境です。
自分が活動縮小していた10年間でスマホとSNSと動画サイトが爆発的に普及し、国民のほとんどが常時インターネットと繋がっている世の中になっていて、音楽・芸能活動に関しては「まずはインターネットでブレイク」という道筋が確立されつつありました。
今でも、音楽やフラメンコの業界では対面による人間関係重視な部分は残っていますが、それでも、多くの部分をインターネットで代替して、制作から配信、営業まで自己完結出来る枠組みが出来ていたのです。
浦島太郎だった自分にとっては、インターネットでの展開というのが、その時点で選択し得る唯一にして最良の可能性に感じられました。
自分のような、対人営業に苦手意識がある人間にも道が開かれるのではないか?と――。
こんな思考から「インターネットでの発信ということに本腰を入れてやってみよう」ということになり、2018年の夏頃から、ブログ・動画サイト・SNSと、どんどん手を広げていきます。
実際にやってみて、正直、最初に思い描いていたほど簡単にはいきませんでしたが、ネットから新たな人間関係も出来たりして確実な手応えを感じていました。
そして、2019年の秋頃からはライブ活動にも復帰しようと動き始めます。
しかし、ここで予想外の事が起こりました。そう、2020年春先からのコロナ禍です。
コロナ禍がもたらした影響
フラメンコ業界はライブ活動・教室活動への依存度が高いし、コロナ禍の影響も甚大なものがあるのではないでしょうか。
事実、ライブやイベントの仕事は激減しましたし、スペインとの往来が厳しく制限されたりもしています。
自分もライブ活動に軸足を移しつつあったのが、インターネット活動メインに戻さざるを得ませんでしたし。
そんな状況ですので、フラメンコ業界でも「コロナの影響を受けない」という事で、急激にインターネットメディアへの関心が高まっている現状があります。
自分の場合は、活動再開をした2018年時点で他の有効な選択肢が無かったためにインターネット活動を全力でやってきましたが「今、このタイミングで、自分が積み上げてきたインターネット発信のノウハウを伝える事で、フラメンコ業界の発展に貢献出来るのではないか?」という思いがあり、それがこの「マイノリティのWeb戦略」連載開始へと繋がりました。
この連載を通して成長したい
自分自身は今書いたような経緯でインターネットでの発信を始めたのですが、ニッチジャンルのアーティストがインターネットを介して人を集める事の難しさは痛感しているし、自分自身もまさに試行錯誤・悪戦苦闘の只中にいます。
そういう体験を整理して、この連載にフィードバックさせる事で、読んでいただいた方の試行錯誤を少しでも減らせたら良いのですが、自分自身もまだまだ勉強中の身であり、この連載を通じて読者の皆さんと共にスキルを向上させていきたいです。
今回は、連載概要と自分の体験談という事で予告編のような形になりましたが、次回から本題に入っていきたいと思います。どうぞお楽しみに!
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