今、フラメンコ音楽論では「日本人としてのフラメンコへの取り組み」というテーマで書いていますが、第46回・第47回・第48回(前回)の3回に渡って、スペインと日本の環境の違いや時代の変化などを考証してきました。
今回からは、前回までの内容を踏まえつつ、実技的な内容へと話を広げていこうと思います。
日本の伴奏環境に潜む問題
フラメンコギター・カンテで最も重要な要素に「コンパス」がありますが、これを身につけるには伴奏をやるのが早道で、長年一人でソロだけやっていても、なかなか習得が難しものです。
そして、日本では踊り手とギタリスト・歌い手の人口比率から「ギター・カンテでプロ活動がしたかったら踊り伴奏をするのが近道である」ということもあって、主に踊り伴奏でやっていきたいというギタリスト・歌い手も多いのではないでしょうか。
こんな事情から、日本で活動するギタリスト・歌い手にとって踊り伴奏は実技・経済の両面で重要なものであることは間違いありません。
しかしながら、実のところ日本の伴奏環境には難しい問題も含まれているように思うのです。
今回は、このあたりを掘り下げていきたいと思います。
教室伴奏病とは?
漫然と教室伴奏を大量にこなしているような状態で、知らず知らずのうちに陥ってしまう「教室伴奏病」と呼べるような現象は、ギタリスト・歌い手の間では飲みの席などで話題に上ることもありますが、これは日本のフラメンコ業界全体にとっても普遍的な問題ではないでしょうか?
このあたりの事は踊り伴奏メインのギタリスト・歌い手は生活がかかっているので口に出しにくかったりして、とても難しい問題なのですが、日本におけるフラメンコ音楽の発展を考えた時に避けて通れない問題だと思うので、勇気を出して書いてみることにしました。
以下、自分の実体験をもとに、教室伴奏病とはどんなものなのか?ということをお話していきます。
自分はギタリストですのでギターの事を中心に書きますが、カンテ・パルマに関しても同様の問題があると思います。
バイレ練習生向けに特化された演奏スタイル
日本で活動するフラメンコギタリストの仕事のニーズとしては、教室伴奏や発表会などバイレ練習生への伴奏が圧倒的に多いです。
プロ舞踊手への伴奏の場合でも、予算や時間的な制約からパルマ無しでのリハーサルしかできなかったり、リハーサル無しで口頭のみの合わせになることも多いので、ギャラを頂いている伴奏者の立場としては、安全策をとって「失敗しないことを最優先させた演奏」に偏りやすい状況と言えます。
実際のところ、仕事の数としては「失敗しないことを最優先した演奏」「日本人の練習生が踊りやすい演奏」という需要のほうが圧倒的多数なので、むしろ、それだけに特化してやっていたほうが職業的に有利に働くという側面もありますし。
そして、年中伴奏で忙しくなると、徐々に自分自身の訓練に時間を割けなくなっていきます。実際に自分自身がそうでした。
安全策の演奏で仕事は回っているし、時間も無い状況で、それ以上のものを求め続けるモチベーションを保つのも大変な事と思います。
フラメンコ音楽論第46回でやったようにスペイン人と日本人ではベースのリズム感覚や環境が違うので、本来であれば、かなり貪欲に情報を摂取して修正していかないと、技術や感覚の向上もままならないはずですが、そういう大事な事も忘れがちになっていきます。――これも、まさに自分自身がそんな感じでしたので。
何年も、何十年もそんな状況が続くと、本人も気が付かないうちに、そういう「失敗しないことを最優先させた演奏」「日本人の練習生が踊りやすい演奏」が自分の演奏スタイルとして固定化してしまうという、一種の職業病のようなものがあるのではないでしょうか?
日常の伴奏活動で、そういう日本人の練習生向けに単純化された演奏スタイルが刷り込まれてしまうと、例えば、自分よりコンパス感が優れたバイレの人と共演する場合でも、また、踊りが入らない「音楽」としての演奏になった時にも、無意識レベルで教室伴奏の癖が出てしまって、コンパスが単調になったり、出てくる持ちネタも教室伴奏対応のものばかりになってしまったり。
これは「そうしないと合わない、失敗確率が上がる」という無意識のブレーキが発動してしまう結果、表現の幅に蓋をしてしまうわけです。
これが「教室伴奏病」の実態です。
業界構造の問題でもある
教室伴奏病を別の角度から捉えるなら「日本ではバイレとギター・カンテの人口の不均衡から、ギター・カンテのリソースがバイレの教室伴奏周辺で消費し尽くされて、音楽面の発展まで余力が回らない状態」とも言えます。
日本でもギター・カンテが主導するフラメンコ音楽の市場が盛り上がってくれば、こうした問題も解消してくると思いますが、それはこのブログの大きなテーマでもあり、日本のフラメンコ業界がこれから取り組んでいくべき課題だと思います。
将来的な話はさておき、現状はバイレを中心に人が集まってくる構造で回っている業界なわけですし、バイレの教室活動無くして日本でのフラメンコ普及はあり得ないでしょう。
ギタリスト・歌い手も、教室伴奏病を恐れて、その機会を減らしてしまったりするのはプロとして本末転倒ですよね。
既に本場で自分の演奏スタイルを確立してきているギタリスト・歌い手はいざ知らず、日本で活動する大多数のギタリストと歌い手は、教室伴奏病を克服して教室伴奏の仕事と上手く付き合っていく事を真剣に考える必要があるのではないでしょうか。
教室伴奏病の具体的な症状
日本のフラメンコ奏者が抱える問題の一つとして教室伴奏病の話をしましたが、教室伴奏病とは具体的にどんな状態になるのでしょうか?その症状を列挙してみます。
コンパスの単調化
教室伴奏病の最も大きな問題として、コンパスの単調化というのがあります。
バイレ教室の先生の方針などにもよりますが、バイレ練習生の中には音楽やリズムに対しての予備知識や興味が薄い人も相当数混じっていますので、教室伴奏の仕事をするなら、そういう練習生もリズムを外さずに踊れるように伴奏を付けられる技能は必須なものです。
そして将来的には、そういう練習生にもリズムやコンパスに興味を持ってもらうように教室の先生と協力しながら上手く誘導して行くという事が重要に思いますが、実際にこれをやるのは大変なことで、相手のレベルに合わせて演奏内容を変えたり、分かる言葉を選んで説明したりと、かなりの経験が必要になるでしょう。
そして、コンパスがしっかりとれない練習生が踊りやすい伴奏を付けるのは、リズム表現上かなりの制約を伴うものです。
まず、裏拍や連符がとれなかったりするので、サパテアードとユニゾンで弾いてあげたり、メトロノームのように表裏全て弾いてコンパスの頭やアクセントを強調してやらないと、拍を見失ってしまったりするので、プロの伴奏とはまた違ったところに神経を使わなければなりません。
そして、年中そんな環境でやっていると、その職業的にやっている弾き方が手癖化して、徐々にギタリスト本人のコンパスの柔軟性が失われ、いつの間にかコンパス感が単調化・固定化していってしまうことに留意すべきです。
ファルセータの単調化・固定化
教室伴奏ではファルセータも分かりやすいものが喜ばれますので、ラスゲアードによるリズムプレイだけでなくファルセータの弾き方・作り方も単調化・固定化していく傾向はあると思います。
教室伴奏で弾くファルセータは「コンパスの頭やアクセントが分かりやすいように」「拍が取りやすいように」ということが優先されるし、持ちネタが無難に使える起承転結がハッキリした4コンパスのものばかりになったり、ということになりがちです。
一方、現在のスペインのフラメンコギターの流れとして、コンパスやフレージングは複雑化の一途を辿っています。
それが良い事か?は別にしても、演奏技術やコンパス感覚という面では、どんどん差がついてしまうことになります。
リズム感がアバウトになる
もう一つ大きな問題として「リズム感がアバウトになってくる」という事があります。
コンパス感が一定水準以上の踊り手の伴奏しかしないのであれば、こういう問題は発生しにくいのですが、ちゃんと拍がとれなかったり、とれていても音を正確に出せない人の伴奏をする場合は、「合っている状態」ということのハードルをかなり下げないとリハーサルが進まないので、どうしてもアバウトな合わせ方になっていきます。
それが普通の状態になると良くないのはお分かりいただけると思いますが、時間や予算の制約から、仕事としてはそうせざるを得ない場面が多いのも事実ではないでしょうか。
そして、その状態で大きな破綻なく舞台を成立させるために、細かいところを誤魔化す技術ばかりが向上していくことになります。
細かいところをカバーしてうまく誤魔化す技術もプロとして必須なスキルではありますが、自分自身のコンパス感覚向上ということを考えると、そういう状態に過剰適応してしまう事は避けなければなりません。
教室伴奏病の克服
今までの話で、教室伴奏病がどんなものなのか、ご理解いただけたでしょうか?
現在では、とくに若い世代のリズム感覚が向上しているし、全体にバイレ教室のリズム環境も良くなっている(スペインの環境に近付いている)ので、教室伴奏病も以前ほど気にしなくても良くなるのでは?という希望はありますが、フラメンコ音楽論46でやったようなスペイン人と日本人のリズム感覚のギャップという根本的な問題もありますし、コンパス感覚が発展途上の練習生向けの伴奏というニーズは、これからも存在し続けるでしょう。
そういう需要に対応しながら、出来ることなら、その練習生を徐々にレベルアップさせていく、というのも教室伴奏ギタリストとして大事な仕事だと思います。
ここからは、教室伴奏病を克服しながら、自分自身と共演者の両方をレベルアップさせていくためにはどうしたら良いのか?ということを考えてみます。
自己チェックの意識を持つ
教室伴奏病克服の第一歩は「教室伴奏病の具体的な症状」の項目で解説したような状態になっていないか?という自己チェックの意識を持つことです。
「漫然と伴奏をやっていると、教室伴奏病のような状態になることもある」ということを意識しておくだけでも、自己チェックが働くようになるので全然違うと思います。
教室やリハーサルではパルマを入れる
コンパス・リズムの問題を緩和させるために、教室やリハーサルでは、なるべくパルマを入れるようにしましょう。
踊りのクラスではパルマをしっかり教えて、練習生同士でお互いにサポートさせるようにすると良いでしょう。
どちらにしろ、タブラオなどで踊る際はパルマは必須のスキルになりますので。
また、少人数でのリハーサルなどの時、カンテが入る場合はカンテがパルマを打つので良いですが、バイレとギターだけで合わせる場合、パルマを入れることで双方が楽になります。
パルマの人員が居なかったり、パルマのコンパスが不安定だったりする場合はメトロノームやソロコンパスを補助的に使うと良いでしょう。
メトロノームやソロコンパスはリアルタイムのテンポチェンジが出来ないので補助的にしか使えませんが、何も無いより遥かに良いと思います。
メトロノームは、振り子式のものはサパテアードの振動で狂うことがあるし、音量も出ませんので、電子式のものを音響設備に繋いで増幅してやるのがベストです。
その上で、例えば、以前解説した「コンパス=サイクル理論」を使ってサイクルを共有するなどすれば、コンパスを安定させる事が出来るのではないでしょうか。
マメにリズム感を矯正する
教室伴奏病の症状の一つに「リズム感がアバウトになる」というのがありますが、これに対処するには、普段の自分の練習時に少しの時間で良いからメトロノームやソロコンパスなどを使って、日常的にリズム感を矯正する習慣を付けると良いでしょう。
教室伴奏病に限らず、リズム感というのは変な癖がつきやすいので、これは必ずやったほうが良いです。
メトロノームの使い方については「普通に拍の頭に鳴らして、自分が気持ち良いテンポを中心に1、2割遅くしたり速くしたりする」というような練習でも十分に効果があると思います。
モードを切り替える
これは、伴奏ギタリストならほぼ全員が無意識にやっている事と思いますが、自分の中で「通常モード」と「教室伴奏モード」を明確に切り分ける、という事も有効です。
自分はさらに細分化して以下のように分けています。
- リズムがヤバい時モード
- 練習生伴奏モード
- プロ伴奏モード
- ソロモード
パルマが居るか?居ないか?でも変わってきますが(パルマが居ない場合は、上の図で1段上のモードになる)、基本的に下に行くほど制約が少なくなって積極的に複雑化させる感じですね。
そして、モード毎に自分ルールを設定しておくわけですが、具体的には、モードによって弾くファルセータを変えたり、基本的なコンパス(マルカール)も弾き方を変えたりします。
ちなみに自分は「コンパス=サイクル理論」の使用サイクルなどもモードによって変えていますが、原則的には不安定になったらベタ踏みを増やします。
あとは「リズムがヤバい時モード」「練習生伴奏モード」用に、分かりやすくて、ゆっくりのテンポで弾いてもカッコいいネタを沢山仕入れておくのも職業ギタリストとして大変有意義な事ですよね。
こうやって、自分の中で明確にモードを切り替えることで、どんなシチュエーションでも最良のプレイが可能になるのではないでしょうか。
常に最終目標をイメージする
日々の伴奏の仕事などでいっぱいいっぱいになってしまうと、忘れがちになってしまいますが、「自分は最終的にはこういう風に弾きたい」というイメージを常に持って普段の練習のモチベーションを保つ、という事も非常に重要に思います。
最終目標のイメージは人それぞれと思いますが、細かいニュアンスやフレージング、コンパスの処理の仕方なんかはイメージの持ち方で変わってきますし。
そういう部分って、一般的に「センティード」とか「アイレ」という言葉で表現されますが、フラメンコでは結局そういう細かい所が一番重要だったりしますよね。
自分の中で良いイメージを保つ方法としては、例えば、クラス伴奏やリハーサルに行く道中で必ずカッコいい伴奏の音源を聴くようにするとか、そういう小さな事でも長年積み重なると、大きな差が出るのではないでしょうか。
最後のほうの話を要約すると「日々、自分に求められるニーズにしっかり応えながら、同時に(すぐに収入には繋がらなかったとしても)自己研鑽を続けるのが大事」という事ですが、これって、伴奏ギタリストに限らず、全ての芸術ジャンルやビジネスにとって大切な事ですよね!
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